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1998年

おはようございます。

先日GTOという1998年のドラマの、リバイバルが放送されていました。1998年にこのドラマを知ってはいたのですが、見ていませんでした。

今から26年前のドラマでしたが、ドラマの内容はさておき、1998年に自分は何をしていたのかを思い出しました。

大学1年生です。とにかく友達を作る。そしてなじむを基本として、勉強は第二、第三??という感じで過ごしていたように思います。今でもその頃の友達は数年に一回集まり、くだらない話をする良い友達となっています。

携帯電話が世の中にで始めたのもこの時です。電話機能とメール機能を駆使して、連絡をとっていたことを思い出します。

今では写真を撮ったり、インターネットに繋いだり、テレビ電話というのが当たり前ですが、当時はそんなことは夢の世界でした。写真はデジカメ、インターネットは一部の学生の贅沢品、テレビ電話はテレビの中の中継のみという感じでしょうか。

という意味でそれらが身直になり、コミュニケーションの選択肢が増えたことはとてもすばらいいことだと思います。正しく使えば全く弊害はないのではないかと思います。

しかしこのようなものを悪用することも可能です。ドラマGTOでは、それを伝えようとしてたのかと思いますが、少しメッセージ性が弱かったのかというのが自分の感想ですが、みんなでスマートフォンをバキバキに捨てるようなシーンはやりすぎなんでしょうか。今の時代にあわないと言いますが、何が合わないのか、がはっきりしないと、そういうメッセージも伝えられないのかと思います。

例えばGTOのクラス全員がスマフォを壊すというシーンが会った場合に、それを当たり前として生きてきた。生徒たちは途方に暮れてしまうのではないかと思います。それはコミュニケーションの手段がダウングレードするからです。

自分もそうです。スマフォがなければ、病院の予約、緊急時の連絡、電車の時間、不明な用語の検索が全てできなくなります。

つまり生活のインフラがスマフォ前提になっています。

思い出しましたが、北の国からというドラマで、携帯ばかりを見る息子の携帯を父親が半分おり、谷に捨てるというシーンがありました。あれは今考えれば、やりすぎなのかもしれません。世の中の潮流の中で、必要な道具が変わってきます。その一つがスマートフォンになります。

しかしながら

スマフォは道具です。道具を使い倒すのはいいことですが、道具に使われてしまう。ということは避けなければならないのかもしれません。

陰口は昔からあったと思います。秘密も人それぞれあったと思います。

それが今は影でなくなること、秘密でなくなること。が容易になってきています。自分のセキュリティは自分で守るということが大事です。

どう守るのか、そもそも陰口をやめて、秘密も曝け出していくこと、まさにGTOのような人がこの世の中で自信を持って正々堂々と生きて行けるのでないかと思います。