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悪いことは悪いが

おはようございます。

次々と様々な被害の報道がされております。訴えた側、訴えられた側、真実は当人同士だけが知ることにおいて、第三者がそれを報じることで、それぞれの立場に立ちコメントをする人が出てくる。当然第三者は、自分のコメントの正当性を確保するために、様々な情報をかき集める。結局は、正当な第三者として弁護士、検察官が登場して、事実確認をした上で、法廷の場で事実のぶつけ合いをして、さらなる第三者となる裁判官が判定を下す。

つまり、有名人に対しては、それが事実であったにせよ、なかったにせよ。それを第三者に決めてもらう事が必要になったのだと思います。

訴えられた側は、無実だ、冤罪だというのは当然です。だってそもそも犯罪だと思っていないわけですから。訴えた側は、精神的にも肉体的にもショックを受けている。つまり、同意性がないレイプという認識すら持っているのだと思います。

かみ合わない両者の言い分について、どちらが信憑性があるのか。それが最終的な天秤に乗せられか下に傾いた方が勝訴という形になります。

証拠が残っていない以上は、両者の言い分のみが頼りになります。

これを適切に判断するプロが弁護士、検察官に当たるかと思いますが、上記プロセスの長期下が避けられないとすれば、両者がその時のことを話す場を設け、示談を終わらせるというプロセスを追加しても良いのではないかと思います。

 

極端な例ですが、合意(お互いの意思が一致すること。)は、日々のコミュニケーションの結果であると思います。その日その時、お互いが意思が一致するまで、どれだけのコミュニケーションを取ることができたのか、結局それが不足していたことが一番の原因なのではないかと思います。

ですので、後おいでそういったコミュニケーションを取る機会を設けても良いのではないかと思うのです。

今後もこういった被害の報告は続いていくと予想されます。訴えることにより何を得たいのか。お金なのか。謝罪なのか。それを明確にして、審議が進んでいけば、プロセスの長期化を避けられるのではないかと思います。

人生は短いです。それが無実なら、事実であったとしても後おいでそれが合意に至るなら、お互いがこのような裁判ではなく、人生でやるべきことに対してより早期にスタートを踏み出すことができればと思います。